相も変わらず、業績下方修正を伝えるニュースが絶えない。トヨタ自動車は3度目の下方修正で4,000億円の最終損失、日立は7,000億円の最終損失だとのこと。こう赤字のニュースを強調される毎日だと、消費者心理はますます冷え込む一方だ。最近、高速道路がすいていて走りやすい、飲食店はガラガラでせいぜい激安の居酒屋が健闘しているくらい、という話を聞く。確かに、繁華街の飲み屋さんも幾分すいているような気はする。これもみな、マスコミの暗いニュースばかりを吹聴する悪い効果が出ているのではないかと思う。
話は変わり、会計監査の世界ではエンロンやカネボウ事件の後、国際的に監査が厳格に行われるようになった。この、「厳格」という言葉は何が厳格かを考えると、一切の私情を挟まず監査人が負う訴訟リスクを最大限考慮して綿密に監査を行う、ということだと思う。それが株主・投資家保護に繋がる、というのが大義名分だと思うのだが、はたしてそれは本当だろうか?昨今の「厳格な」監査のせいで、監査法人が少しでも会社の経営継続性(ゴーイングコンサーンと言われます)に?をつければ、あっという間に信用不安が広がり、その会社が民事再生などの実質倒産状態に追い込まれることがよくあります。株主投資家が、確かな投資情報を得るために会社の決算書を閲覧する時に、「これは間違いありません」とのお墨付きを与えるのが会計士であり監査法人です。しかし、最近は情報が早く回りすぎて会社の決算書を見るまでもなく監査法人と会社がもめているとか業績の悪化が生じ始めているとかのニュースが会社の信用不安を招き、あっという間の株価の下落をもたらしているような気がします。これでは、監査の厳格化=投資家保護は成り立ちません。なぜなら、投資家が情報をもとに損失を最小限に抑えるのに時間がほとんどないと思われるからです。
となると、監査の厳格化はいったい誰のために行っているのだろう、という疑問が生じます。これについては、内部統制監査に関する書物にもいろいろと書かれていますが、私には今のところどれも完全な説明に巡り合ってはいません。この話は、今後引き続き書き込んでいこうと思っています。
みなさんこんにちは。昨日はアメリカオバマ大統領の就任式のニュースで持ち切りでした。世界中からこれほど期待が集まった大統領の就任はなかなかなかったのではないでしょうか。世界同時経済危機の中、若さはもちろん、アメリカ初の黒人大統領の誕生はまさに変革(Change)のタイミングなのでしょう。しかし、オバマ氏のいうChangeは、実は何かのタイミングで行うべき話ではなく、そもそも毎年同じような暮らし(自然環境や経済環境はたまた人間個々人の健康状態や精神状況など)が続く保証はどこにもなく、本来は少なくとも毎年あるいは毎シーズンChangeしていかなければならないものだと、昨日の就任演説を聞いて思いました。常にChangeを受け入れていかなければならないと。
それを、世界中の人が気付くべき節目の時期であると思います。いつまでもマネーゲームや戦争に興じている人たちこそ、Changeしていただきたいと思います。
さて、再び経済状況の話ですが、いろいろなニュースが聞こえてきていますね。海運業界は大幅減益、造船業界も今年は受注が9割減など海の世界でも深刻な状況に陥ってきています。自動車産業がダメになれば、自動車を運ぶ船舶関連の業界も当然不況の波が及ぶことは想像に難しくありません。そんな中、昨日トヨタ自動車の次期社長に創業者一族の豊田章男氏が起用されることが正式に決まったと報道がありました。彼曰く、トヨタのDNAは現場にあり、と。すなわち、マネジメントは常に現場に接していないと正確で必要な情報は伝わってこないということでしょうか。これなどはむしろ、Changeではなく、会社の経営理念である原点に戻れということです。何でもかんでも節目だからと言ってChangeすれば良いわけではないという、典型のような話でした。ただし、この基本理念の中には無限のChangeが含まれているのです。「(現場での)改善は無限なり」は、トヨタの有名な社訓の一つですね。
昨日の日経新聞の「松坂屋」の記事も面白いものでした。もともとは名古屋の呉服屋が発祥だそうで、そこの創業者一族の跡取息子さんが呉服屋から今でいうスーパーの形態に店舗を変えようとした時、経営陣のほぼ全員から大反対にあったが、これを認めてもらえないのであれば自分が家督相続を放棄するという覚悟で父親をはじめ経営陣を説得(強行突破)したのが、松坂屋誕生と大躍進の歴史だったということでした。この中で学ぶべきことは、何か物事をやり遂げるためにはすべてを失ってもかまわないという何物にも動じない覚悟が必要なのではないかという点だと思います。
リーダーは、節目の時ほど絶大なる覚悟で何事にも臨む必要があると思います。基本を忘れず忠実に、日々の変化に立ち向かい、堂々とした覚悟を携えて向きあう、これこそがオバマ大統領の言う「Change」の極意ではないか、そんな風に思った私です。皆様は、どう考えますか?何はともあれ、オバマ大統領の行動に大いに期待したいところです。
1月も早半月が過ぎようとしていますが、皆様方は正月気分もすっかり吹き飛んで日々の業務に追われていらっしゃるかと思います。それにしても、世間では相変わらずあまり良い話は聞こえてきませんね。
昨日は「ソニーも営業赤字」のニュースでしたが、日本の誇る大手メーカーが次々と決算数値の下方修正赤字転落を発表すると感覚がマヒしてきます。そして、いやでもこの後の景気先行きを暗い長いトンネルのように考えてしまいますね。しかし、私は逆にこれだけ速いスピードで世界の景気が動いているのであれば、意外と日本の景気の回復は早いのではないかと淡い期待を抱いています。核心はないのですが、人の予測とは反対に世の中動くものだからです。
それにしても、政治の状況が最悪のようです。いったい何を考えて政策を行っているのだろうと疑うばかりですね。微々たる給付金などやめてもらいたいし、これは明らかに自民党と公明党の選挙資金集めに使われるのだろうと、今朝もクライアントの社長様と雑談になりました。今の日本が抱えている長期的な問題、少子高齢化から必要とされる分野(出産・育児・教育・医療・介護など)に資金を回し、雇用や暮らしの安全さらには後継者の育成(日本の未来を担う若手)を長期的ビジョンで取り組んでいこうとする意識はないのでしょうか?戦後政党政治の終焉であり、あらたな政治手法(一種のカリスマ的独裁者か明治維新時のような気概あふれる改革集団)の出現が今こそ望まれると思います。そのような人材が、今の日本にいるのだろうか・・・?
そういえば、「年越派遣村」がいろいろとマスコミの脚光を浴びたようです。私はここに集まっている方がどれほど派遣社員として苦労していたかはわかりませんが、どうも真剣に可哀そうだと思い入れすることができません。確かに、年末に突然職を失い路頭に迷うつらさは本人にしかわからないかもしれません。ただ、今までに真剣に正社員になるために努力をしてきたのだろうか?次に正社員として働ける職場が見つかればその会社のために頑張りたい、とおっしゃる方がいましたが、それでは今まで真剣に正社員になるための努力や行動をしてこなかったことの裏返しではないかと思うのです。私のクライアントでも良く話題になりますが、転職者のリクルートで「まず条件面(金)」の話から始まる人材は、採用する気にならないという話をよく聞きます。欲しい人材は、その会社や業界を知りたい・会社の利益や文化に貢献したい、ということではないでしょうか?契約社員に甘んじていらっしゃる方は、このあたりを真剣に勉強すべきなのではないかと私は思います。
マスコミも興味本位で「年越派遣村」を報じることなく、良い意味での辛口論評を試みていただきたい。
皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。2009年のスタートにあたりまして、皆様方のご健康とご活躍をまずは祈念させていただきます。
さて、昨年は100年に一度といわれる金融危機に見舞われ、今年はさらに不安定な一年になりそうですがそれはさておき気持ちを入れ替えるべく、元旦の日経新聞から2つの記事に注目してみたいと思います。
一つ目は、「サバイバビリティ」すなわち生き残る力。これは京都大学の現総長松本紘さんが最近講演等で主張されるそうですが、地球という閉じた空間に生きている人間にとって、個人の欲望をひたすら追求する今の生き方では地球上においてせいぜい20数億人しか暮らすことはできない、アメリカ流ではなく食べるものを少しでも節約する暮らし方をすれば100億人以上の人々が暮らすことができるかもしれない、このように人間が生き残る道を考えながら地球上に暮らしていくことがこれからの時代、いよいよ真に求められてきたのではないか、要旨はこのようなことかと思います。食料のことだけではありません、すべてにおいて次世代に地球を繋いでいくためには、さまざまな我慢が必要だということだと思います。金融危機はまさに、個人が自分だけいっぱい金儲けをしたいという傲慢さが生んだ問題なのだと思います。自分だけがいい思いをする、このような人たちにこそこの「サバイバビリティ」を学んでいただきたいと思います。もちろん、自分だけのサバイバビリティは捨てていただいてから、ですね。
二つ目は、「やり過ごすという技」、これは元西鉄ライオンズの名選手「豊田泰光」さんのコラムにありましたが、自分が若い頃、他人に対して気になるところをいちいち指摘していて時には一触即発状態になったりもした、しかし近年、他人の気になる点をやり過ごせるようになったこと、これは年を取ったせいかもしれないが自分がどんな人間が嫌いだったかという好みまであいまいになってきた、そしてそれが思わぬ利点となっている、と豊田さんが自問自答しておられました。この良い意味でとぼける技術こそが今の社会が忘れてきたことかもしれないと結んでいましたが、これも、自我ばかりを押し通さず他人の生き方をあいまいなりにも認めるべき、という他人との共存を意識されている記事かと思われ、私には上記のサバイバビリティに共通することではないかと思われました。
どうしたら今あるさまざまな地球的危機を乗り越えられるのか、そのために人間が全宇宙的神に難題を突き付けられているような気がいたします。今年も1年、皆様と一緒に学び歩んで参りたいと思います。