昨日のNHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」をご覧になった方、いらっしゃいますか?今年の1月に放送した番組の再放送だったらしいが、久しぶりに感動を覚える内容だった。
話の主人公は、中村伸一さんという40歳前半の医師で、福井県おおい町のとある山村に1軒ある診療所の所長だという。その集落は3,000人ほどの人口がいるが、その3割超が65歳以上の高齢者だそうだ。その地域住民のために、自身の医師生命をかけてもう17年も診療を続けている。これだけでも十分に素晴らしい医師だと思う私だが、あらゆる治療やサービスにこの診療所だけで対応できるように、他の病院へ武者修行に行ったり介護の勉強をしたりして、この一人のドクターが簡易ながんの手術から訪問診療・介護まで手掛けていることには驚かされた。まさに、現代の赤ひげ先生だ。 何人かの看護師等の方のサポートも心強い。
人間性にも素晴らしいものがあるようだ。病気を診るのではなくて人を診るのだと。患者を一人の人間として見るからこそ、カルテに性格や趣味まで記載しているのだ。患者さんからの信頼は絶大だ。夜中もいつでも緊急に対応できるよう、携帯電話でスタンバイしている。死期迫る患者さんのことを気にかける。最期を自宅で遂げることができた患者さんが、死に際に「俺は自宅にいられて良かった。お前も最後は中村先生に看取られるんだぞ。」と言われたこともあるそうで、これにはぐっと来るものがあった。そんなことを言われる医師がいるなんて、私は少し嫉妬するくらいうらやましかった。
だから中村医師は言う。お互い様だと。私も地域の皆さんに助けられ教えられながら生きている、と。なんて憎いことをいう男だろう。TVで見る限り、先生は独身のようだ。昼ご飯を自宅で一人で食されていたので、どうしてこんな素晴らしい男のところに女性は目が行かないのだろうか?と思った。それは余計なお世話かもしれないが・・・。
しかし、すでに中村医師の取り組みは全国で注目されているそうで、行政も巻き込みいかに地域医療を充実させていくかの素敵なケースになっている模様。私も中村先生のようなドクターになりたい、そんな若手の医師の姿も紹介されていて、日本もまだまだ捨てたものではないと思った。それと同時に、私の仕事ぶりを振り返ってみて、少々恥ずかしくなった。もっと、世のため人のためにできる仕事を追求しなければいけないのではないかと。お金のためだけに生きると、本当の幸せはやっぱりやって来ないのだと改めて考えさせられた番組でした。
秋がいよいよ本格化してきました。気持ちの良い気候になってきましたね。さらに11月に入るとぐっと気温が低くなるのでしょうか。私にとっては、寒い季節は好きな方なので冬が待ち遠しいです。ただし、インフルエンザが心配ですね。
秋と言えば、私の仕事がら税務署の調査が本格化する時期でもあります。私のクライアント様にもあちこちで税務調査を迎えております。ここは、当事務所の腕の見せ所でもあるのです。
ところで、皆さんは印紙税という税金はご存知ですか?そうです、契約書や領収書に印紙を貼るやつです。契約書や領収書をたくさん発行する会社にとって、印紙税は馬鹿にならない負担となる税金だと思います。これは、間接税の範疇に入る税金であり、間接税の代表と言えば「消費税」がありますね。消費税の導入時には多くの間接税が廃止されましたが、何故かこの印紙税については廃止のテーブルに載りませんでしたし、その後も消費税が3%→5%になった時や税制改革や社会保険料の問題となった時にも、何故か?この印紙税はほとんど廃止の議論になりませんでした。
私は、消費税と印紙税は間接税の中の流通税で同類であるから、一取引一課税の原則から考えれば消費税一本に収束すべきであり、印紙税は早急に廃止すべきと思います。揮発油税や酒税など、消費税と共に課されている間接税はありますが、課税対象が特定されていることと他の政策目的があることから例外で許容されている二重課税かと思います。しかも、この税金については減税すべきだとかの議論がいつもなされていますが、何故か?印紙税についてはほとんど議論がありません。
私は昔税務署におりましたが、この印紙税ほど取りやすい税金は無かったと思います。この税金のエキスパートは少ないですし、税法が薄く課税の取り扱いの多くを通達に頼っていることから、調査官の言いなりで課税がなされるケースが多いのです(私見として)。これはまさしく、悪税と言わざるを得ないと思います。今税収減が言われている時代に、ますます印紙税廃止論議は遠のいていくだろうと思いますが、次の税制大改革時には必ず印紙税は廃止されるべきだと強く思います。
民主党政権となって、まもなく1カ月が過ぎようとしていますが、自民党時代にはなかったような動きがいろいろあり私には大変面白く映っています。昨日は前原国土交通大臣が羽田をハブ空港化する、という発言。成田の住民や企業関係者には大変な話だと思いますが、日本の今後を考えた時避けては通れない話なのかと思いますね。何はともあれ、解決策についてはじっくり取り組んでいただくとして、民主党政権に対して1年くらいは静観して見守りたいと私は思います。
ここ最近企業の業績見通しの記事をいくつか見かけました。ユニクロとしまむらは増益増収で、セブン-イレブン・ジャパンとイオンは業績低下。百貨店はここ数年ずっと減収減益とか。その他の企業も押し並べてマイナス成長のところがほとんどのようです。百貨店がマイナスなのは以前から言われていましたが、大手スーパーもいよいよその仲間入りのようです。百貨店は町中に高級感を演出し、店員の接客や商品の良さ?を売り物に定価販売する何でも屋、と言ったところでしょうか。これは、スーパーや安売り店に負けてしまったわけですが、大手スーパー衰退の原因は何でしょうか?
私は、消費者が、安くて何でも揃うという店だけではもう満足しなくなったのが原因だと思います。つまり、服を買う時には安さだけだったらユニクロやしまむらに負けてしまっています。しかも、ユニクロやしまむらは、それぞれ顧客層を考えて工夫した品ぞろえをしていると思います。これが消費者のニーズにマッチしているのだと思います。ヨーカドーやジャスコのように大店舗であらゆる顧客層に対して商品を売る商売は、他の商品や顧客層を絞って安売りをする店に負けてしまい、今後は利益を上げることが難しい時代に入ったのではないかと思います。そこで新しい試みとして、西友やダイエーが食品に特化したスーパーとして生き残りを図ろうとしていますね。おそらく、今後セブン-イレブン・ジャパンもイオンも特徴のあるいくつかの種類のスーパーに店舗を分けて展開していくのではないかと思います。
ヤマダ電機やコジマ、ビックカメラと言った家電量販店も、今後壁にぶつかり今とは異なる店舗展開に変わらざるを得ない状況になるのではないでしょうか。
混合診療についての東京高裁判決が先月あったが、結果は「混合診療禁止は適法」と一審の東京地裁判決を取り消した。そもそも、混合診療とは何なのか?
皆さんがお医者さんにかかる時、通常は健康保険を使って診療代の7割を国から支払ってもらい自身の負担は3割となります。この時、保険が適用される診療については厚生労働省が細かく規定しており、診療代を表す点数までも一律に決まっています。一方、厚生労働省が規定していないあるいは認可されていない診療方法や投薬については健康保険が適用されず、保険外診療となります。そして、診療を受ける際、保険がきく診療と保険外の診療とを同じ医院ないし病院で受ける場合の診療のことを「混合診療」というわけです。問題は、混合診療を受ける場合保険外診療はともかく保険に該当する診療までもが保険外として、自己負担になってしまうところです。
たとえば、がんの治療で保険のきく放射線治療とまだ国から認可を受けていない抗がん剤治療を受けようとする場合、すべて自己負担で治療費を支払わなければならず、患者にとっては少しでも有効な治療を選択しようとする場合に治療費の問題で断念しなければならないのはおかしな話です。しかも、法律に混合診療は禁止するという明文規定がないことから、行政解釈の誤りであるとして今回の訴訟になったわけです。
さて、訴訟は最終審まで行くでしょうから見守ることとして、皆さんはこの問題をどう考えますか?患者の立場からすれば、少しでも良い治療を受けたいのに選択肢が狭まるとして混合診療を解禁すべきだとなりますね。一方、国は安全性が確保されない治療が広がる危険性や所得による医療格差の拡大を理由として、混合診療を原則禁止する立場を取っています。
私は、歯の治療など自費による治療を選択する患者はすでに大勢いるのですし、患者に診療選択の自由を与えるべきで混合診療を早期に解禁すべきと思います。所得格差による医療の公平な享受がなされないというのは、先ほど言いました歯の治療などすでに身近部分で所得に応じて各人が治療法を選択している話です。確かに、生死にかかわる診療の場合、所得に応じて結果が異なったとなれば問題かもしれませんが、そもそも医療もサービスであり良い治療は診療報酬も高い、ということは当然ありうることですし、高度な治療になればなるほど同じ診療でも医者によって結果が異なると思いますから、その診療費が同じであること自体がおかしいと思います。つまり、保険での診療はベースの部分としてとらえ、それは国民皆保険ですから皆享受でき、その先の保険外診療は個々人が判断すべき、これは非常に検討すべきテーマだと思います。
それでも、今回民主党はこの問題をマニフェストに載せておらず、解禁論議は低調とのことです。この理由は、解禁が巷で言われている格差社会の拡大を助長する問題だからでしょうか?私は、日本の格差は欧米ほどの大きな問題ではまだないと思うのですが(日本の金持ちは世界の長者番付で100位はおろか500位にもほとんどいないのでは?)、今の格差など問題ではなく、未来にチャンスが平等に与えられる社会になっていない、もしくは、希望を持てない社会になっていることが問題なのだと思います。 それは、昭和の年功序列社会はとっくに終わり、21世紀の新しい生き方に変わるべく、日本人が真剣に取り組むところから始めなければならない問題です。
10月に入りました。でも、なんだかまだ暑いですね。私は寒い方が好きのなので、早く寒くなってあったかい鍋でもつつきたいものです。
先週末、2016年の夏季オリンピック開催地がリオデジャネイロに決まり、立候補した東京は落選しました。皆さんはこれについてどう思われましたか?ああやっぱりな。という方が結構多かったのではありませんか?私はどう考えても、東京都民や日本国民が真剣に2016年のオリンピック開催を東京で、と思っていたとは思えません。オリンピックが来たらいいな、目の前で見れたら良いなあ、くらいの気持ちでしょうか。
すいません、「私は真剣に応援していたよ。いい加減なのはあなただけではないか!」とそんなお叱りの言葉をお持ちの方には素直に謝りますが、私は上記の程度の想いでした、正直なところ。私は、オリンピックを招致するためには国民全体のオリンピックに対する素直な敬意と熱意がなければダメなのではないかと勝手に思っています。たとえば、私の幼少のころ行われた1964年の東京オリンピック。この開催には、日本全体が、戦後の落ちぶれた気持ちを払しょくしたい、先進国の仲間入りをしたい、日本の力を見せつけたい、高度経済成長を成し遂げていきたい、など強烈な想いがあり、また、オリンピックに対するあふれるばかりの敬意があったのではないかと思います。
今回のリオもそうではないでしょうか。南米初のオリンピックをブラジルで実現したい、ブラジルの経済力を世界に見せつけたい、スポーツの祭典オリンピックを敬意とともに皆で分かち合いたい、そんな姿勢が感じ取れたような気がします。
話は変わって今の日本人。そもそも挨拶や礼儀というものを忘れてしまっている人がたくさんいるような気がしています。昨日の産経新聞の一面で、茶道の裏千家の大御所の記事が大変興味深かったです。「礼儀を忘れてしまった日本人」というようなタイトルでした。大変共感しました。朝の挨拶・帰りの挨拶・近所でよく会う人に対する挨拶・人に迷惑をかける行為は慎む・敬老の精神など、私は親に教わったことも含め自然と身につけられてきました。しかし、挨拶が出来ない、下を向いて無視する、電車や自転車に乗りながらの携帯電話、ギャル(古い?)の電車内の化粧、電車内の大声や食事、自転車の走行マナー、煙草のエチケットなど、揚げたらきりがないですがなぜこんな世の中になってしまったのだろうかと思います。私は、こんなおかしな人間がいても注意できない、気にしない日本人が多くなってしまった国で、そもそもオリンピックなどそんな話は後回しにすべきだと思います。
教育の根本を、学校だけに頼るのではなく変えていかなければ、日本の未来は日本古来の伝統や利点を活かしていけないと思います。