福地公認会計士事務所

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公認会計士 福地徳恭

2012年10月

石原新党騒動の中で大宣伝された公認会計士

昨日の石原都知事辞任と新党結成国政への進出記者会見には驚かされた。何が驚かされたかというと、辞任や国政への進出の話ではない。「公認会計士」という言葉が3度も口から出たことだ。

記者会見で石原氏は言った、「この国や地方自治体の会計制度は相当遅れている。複式簿記になっていない。適正な財務諸表が無い。北朝鮮やミャンマー並のレベルだ。国等にきちんとした会計を取り入れて、監査のプロの公認会計士による会計監査を導入するべきだ。私の東京都は、中地という当時の公認会計士協会の会長の事務所に頼んで、公認会計士監査を私が都知事になって導入した。それで、ずいぶんと財政状態が良くなった。皆も、会社に投資しようというときには会社の財務諸表を見るでしょう。ところが、国に財務諸表というものがない。だから、国の財政状態がどうなっているのかみんな知ることができない。なぜ、きちんとした会計制度のもとに財務諸表を作ろうとしないのか、早く作って公認会計士による監査を導入したらいい。」

以上は、私がたまたま記者会見を聞いた部分の一節だが(多少ニュアンスは間違っているかもしれないが)、このとおり、公認会計士という言葉が連発された。都知事辞任と新党結成・国政進出宣言をした記者会見で、まさか我々の業界の資格名がこれほど主張されようとは思わなかった。日本公認会計士協会の幹部は、この会見をどのように受け止めたのだろうか。

私見として、政治家のパフォーマンスがあるとはいえこのような場で我々業界の話が大いに語られたことは、大変良いことだと思う。そして、だからこそその反響として我々業界に生きる資格者たちはその重みをしっかりと受け止め、より社会に役立つ仕事を担う覚悟をしなければならないと思う。それにしても、今回のこと(国の財務諸表を作成するサポートをすること・監査すること)は、国政に関わる仕事になるわけであり、現政権が行った事業仕訳にも公認会計士が何名か携わっていたことからも、我々業界は、国政がらみの仕事も今後ますます背負っていかなければならないのかもしれない。何はともあれ、今回の騒動に誇張された「公認会計士」、それに一番驚かされたのはわが業界人だろう。

不可解な事件の多い中で

最近というか、またも、というか、さまざまな不可解だったり凄惨だったりそして猟奇的な事件までもが多い世の中。いやな事件が多すぎて、それはどの殺人事件だったかわからなくなる。そんな中、私が取り上げたいのが少し前に起きた老年同士のいざこざによる殺人事件だ。

犯行に及んだのが80歳を過ぎた元警察官の男性で、相手は60歳過ぎの女性。報道によると、原因は近隣トラブルとのこと。向かい側の女性宅のちょっとした問題が発端で、男性のクレームに対し女性は真っ向から反発し男性を押し戻す。それに男性の怒りが増してお互い譲り合わない。そのうち、正義感?の強い男性が殺意をほのめかして女性を脅迫するようになる。警察への相談もあったようだが解決には至らず、ついに男性が女性を殺害しその後自殺した。何とも、悲しい事件である。なぜこのような事件は誰も止められなかったのか。実は、私にも過去近隣トラブルに巻き込まれたいやな経験がある。それは私には明らかに、先方からの一方的な犯罪行為だったのだが、ここで申し上げたいのはどちらが悪いとか悪くないの話ではない。なぜならば、私の場合も警察にも相談したのだが根本的解決とはならず、結論は私の方からこれ以上トラブルにならないように身を引いたのだった。つまり、相手方と二度とニアミスが起こらないようにしたのである。

今思えば、正義のためとか良い悪いをはっきりつけようとか相手を徹底的に懲らしめようとか、そんなことをしなくて良かったと思う。上記殺人事件は、男性の主張を女性が全く聞き入れず、むしろ男性のクレームを言いがかりだと切り返し、それがまた、男性の怒りを買うという負の連鎖がトラブルを大きくしていったのだと思う。つまり、近隣トラブルだの電車内での喧嘩だのといった類は、相手は相手の主張をしてくるだけであり言い負かそうとすればするほど最後は拳でけりをつけなければならなくなるのではないか。つまり、状況は冷静な話し合いをできる場ではないのである。相手が許せないケースであっても、どちらかが冷静になって身を引く、相手の話を聞く、という姿勢があれば、大きなトラブルにならなくて済んだのではないか。もちろん、それでも相手が悪くて暴力的にくるのであれば、これはもう、逃げるが勝ちであろう。

本来、普通に話し合いのできる人たち同士であれば、トラブルにはなりにくい。あるいは、そもそもトラブルの原因すら起きないのではないかと思う。それでもトラブルの原因が発生する場合には、普通ではない「何か」が存在するのではないか。だからこそ、そういうトラブル原因について相手方と話す場合には、自分の考え方が正しいという姿勢で向き合うととんでもない反発がやってくる。それに対し、論理的に徹底的に相手をやりこんでその場は抑えられたとしよう。それが二度と会わない人に対してならば良いが、隣近所の人や会社の同じ部内の人に対してだったらどうだろうか。また顔を合わせることになるし、やられた人は場合によってはものすごい嫌悪感を持って自分に接することになる。

人というのは皆ものすごいプライドを持っている、とよく言われる。そのプライドを傷つけられたとしたら、特に自尊心の強い人は傷つけた人に対しものすごい復讐心を持つかもしれない。粘着質の人間だったらそれが何倍もの復讐の鬼になるかもしれない。考えただけで、恐ろしいと思う。何かの本で見かけた記憶があるが、人は徹底的に相手をやっつけてしまうような怒り方・追い込み方はしない方が良いという。上記事件は、まさにその典型ではないだろうか。早いうちに、相手を許してあげるか自分が身を引くか、これがつまらないトラブルで悲惨な事件に向かわせない秘訣であると、私は思う。

やはり、自分の主張ばかり押し付けてはいけない?!

世の中、生きていれば腹が立つこともあると思いませんか?しかし、当然のことだと思って主張していることが時には身勝手な場合があるという、反面教師的な場面に昨日遭遇したのでここに書かせていただきます。

荷物を送る必要があり、とある宅急便のセンターに行きました。そこで伝票を記載していると、60歳前後と思われる男性の方がそのセンターを訪れ、「発泡スチロールの箱はある?」と。センターでは扱いはないというと、いったん出て行ったのだがすぐ戻ってきて、「近くのセンターで置いてあるところはないか?」と追加の質問。担当の男性がこのあたりでは扱いはない、ホームセンターに行けばおいてあるかもしれません、と答えると再び出て行った。私はここで、何かトラブルになりそうな予感がした。私の予感は的中する。

すぐさま今度は、同年の女性とともに入ってきて、築地や高知県?では発泡スチロールを置いてあった、と。すると、担当の男性は手に負えないと思ったのか奥の女性を呼んできた。ここからのやり取り。

ヤマト女性:「何を送られるのですか?」

女性客:「生の魚。氷を入れたいので、発泡スチロールの箱がいるの。」

ヤマト女性:「クール便ならば、氷はいりませんよ。氷いただいておりません。」

女性客:「生ものだから、氷はいるでしょ?クールは冷蔵でしょ?いたんじゃうでしょ!」

ヤマト女性:「いえ、クール便の場合、氷は必要ありません。」

女性客:「何言ってるの?生ものだからいたむでしょ?あなた、勝手に氷いらないって決めないでよ!」

ついに、担当女性は責任者と思われる男性を連れてくる。

女性客:「事情は聴いたでしょ?この人、勝手に氷はいらないっていうのよ。私は氷を入れて送りたいと言ってるの、客の言うとおりにすればいいでしょ?なんなのこの人!」と言って、持ってきた段ボールに入った荷物をカウンターの上からぶつけた。これは、明らかに威嚇だ。

ヤマト女性:「すいません、氷はいらないと決めつけてはおりませんでしたが・・・。」

女性客:「もう、他で頼もうかしら、でも、本社にクレーム電話したいから貴方名前何て言うの?名刺ちょうだいよ!」

私は、前の男性係員とやり取りをしていてここで手続が終わったのでセンターを後にしたが、帰り間際「みっともないなあ。」と一言発してしまった。

その後その光景を振り返ってみたが、いい年をした女性客(おばさん)は終始大声を上げて自己主張しており、まわりからはどう見てもモンスターで困った客だ。というのも、氷を入れて送るというのは本来宅急便では扱うことができない荷物だったのではないか。なぜなら、魚業者のように冷凍物を送る専門の冷凍車を宅急便では保有しておらず、溶けて他の荷物が水濡れになってしまう可能性がある。お土産屋で入れてくれる保冷材は、しっかりパックされており漏れる心配はなさそう。クール宅急便は冷蔵車だから氷が解けないという保証はない。それでも、水漏れしないようにケアされているのではないか。

氷を入れて送りたいというこのおばさん、それはわかります。しかし、そもそも発泡スチロールなどの梱包材の用意が宅急便でできないといわれたところで、一歩引き下がらなければならなかったのではないでしょうか。無いものを用意しろ、氷を入れて送りたいのに氷を入れさせないのはどういうことだ!客の言うとおりにしろ!、などのこのような食いつきは明らかに不当な自己主張だったのではないでしょうか。しかも、大声を出したり相手を威嚇するがごとく荷物をカウンターにぶつけたりするのはどうでしょうか?ルール違反と思いますね。 金を払えばこちらはお客様、何でも言うとおりにしろと言うのも最近よく見られる光景ではないでしょうか。私はその考え方、大嫌いです。

さて、こういうことを傍目で見て、良い反面教師だと思いました。どんなに自分が正しいと思っても、大声を出したり相手を威嚇するなどの恥ずかしい行為は絶対にしてはならない、と。たとえどんなに相手が間違っていると思われ態度が失礼であっても、自分の主張は冷静に行うべきであり相手の話をきちんと聞く耳を持たなければなりません。ましてや、実は自分の正しいと思っていることが実は周りから見ればおかしなこともあるかもしれません。

賢明な皆様は、こんな話よくご理解されているのだと思います。ただ、私は時に自己主張が強くなる場合があるので、このような経験から良い反面教師にしたいと思った次第です。それと、後でわかったのですが、このおばさん足が悪いらしくそれもわがままな一面をより強固にしてしまったのでしょうか。でも、それは言い訳になりませんし、むしろ世間から見ればますます困った存在です。そして、年を取って頭が固くなり怒りっぽくなり、ますます頑固な行動ばかりしていると認知症にもなりやすいのではないかと思います。人間、年と共に丸くなるべきであり、全く、気を付けたいものです。

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