こんにちは。最近はブログの更新が日曜日であることが多い。ゆっくりとした気持で投稿するのが良いのだろうが、日曜もパソコンに向かっている姿は家族には好意を持たれないことは間違いない。
さて、私は人と接する時にたびたび迷わされることがある。それは、どんな人ももともとは良い人なのだと捉える「性善説」の立場で接するべきか、その逆にもともとは悪だがそれを表面では隠している「性悪説」の立場で接するべきか。私の父親が人の好い代表のような人間で、人を憎まずお人好しで、「良い人」、の一言でかたずけられてしまった男だった。私はその父親の血を半分は継いでいるわけだから、当然の如く「性善説」を支持する人間だった。過去形にしているのは、最近どうやら時と場合を考えずに「性善説」を信じ人と接していくととてもひどいことになり、大げさな言い方ですととても自分が存在していくことができなくなると悟るようになった。
たとえば、私の業としている「監査」という仕事ですが、これを「性善説」で監査先の人と接していくとこの仕事はできない、大きな矛盾が出てくる。会社のため、しかし、社会的にはやってはいけないことを性善説の人ならば絶対やらないという理想がある。しかし、現実には会社や自身の利益のためだけを考え、やってはいけないことを平気でやってしまう事件が起こるから、我々監査人が必要なわけです。これは、「性悪説」の立場にならなければ監査人は務まりません。
それ以外でも、ビジネスの世界では性悪説を基本的立場に置いた方が良いと最近思う。つまり、「人はまず疑ってかかれ!」となります。自分の部下もそうです。部下は本来信じてやりたいところですが、逆に警戒心を持って厳しくあたり、それでもきちんと仕事をこなしてくれる人が信じられる部下ではないか、と。ビジネスパートナーもしかりです。
それにしても、汚染米販売には参りました。私の大好きな芋焼酎、もうさんざん飲んでしまったのだろうな、と諦めの境地です。これは、性悪説などと甘い話ではありません。販売業者ははじめから儲けを見込んで汚染米を購入していたことが明らかです。農水もこうなることはわかっていたのではないのだろうか?金もうけをたくらむ業者を、やはり「性悪説」の見地から監査しなければならないことは当然です。しかし、そもそも汚染米を国家間の駆け引きから買わされる羽目になっていること自体が、国家ぐるみの犯罪だと言わなければなりません。この儲けの何割かが農水絡みの族議員に流れていた、なんてことはないのでしょうね?
次のいや、次の次かその先かもしれませんが、任される政権リーダーには、財政再建のための増税も止むを得ませんが、公務員と議員らの数の大幅な削減をセットでお願いしたいものです。