福地公認会計士事務所

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公認会計士 福地徳恭

分相応の生業(なりわい)

少々間が開いてしまいましたが、皆様方にはいかがお過ごしでしょうか。

ここ最近、また残虐な事件が相次ぎました。車でのひき逃げ事件が2件、というよりも、無差別殺人と言った方が良いのかもしれません。今年は、この手の誰でも良いから自分の不満の吐け口として全く無関係の人間を彪めてしまう事件が相次いでいますね。何故こんなことになっているのか、今の日本を憂います。

ここで、私は税務署勤務時代に非行を防止する研修みたいなものがあって、そこで繰り返し見せられた映画を思い出しました。その中のセリフが、「分相応」。税務職員の皆さんは、分相応の生活をしていきましょうという強制的な指導があったと記憶しています。私なりに解釈すれば、税務職員は公務員として身分は保障されているのだから、少ない給料でもその中でそれに対応した節制した生活をしなさい、そうすれば幸せな人生が待っているのだから、一瞬の隙で犯してしまう非行など愚かな行為は絶対やめるべきですよ、ということだろうと思います。実際、ほとんどの公務員は真面目に勤務して質素な生活を守っているのだと思います。そして、公務員以外の自営業者やサラリーマンだって、その「分相応」の生業くらいわかって行動して日本の社会は成り立っていたのだと思います。

しかし、そのことがわからなくなってしまった人たちが最近増えてきているのが、このような全く理不尽で自分勝手な事件を起こす原因となっている気がするのです。たとえば、誰でも無理をすれば高級外車やブランド品を購入できるという錯覚です。街を歩いていると、やたらと外車に乗っている人やブランド品を身につけて歩いている人を見かけますが、みなさん本当に余裕があって購入されているのでしょうか?と疑いたくなります。物欲に関しては、皆が無理をすればそれなりに手に入れることができる社会、これが素晴らしく平等な世の中だと言えるのでしょうか?

思いやりだとか義理人情、男意気、女らしさなど、大切な精神の部分が最近、死語になっている気がしてなりません。私は、これらの言葉が大好きで大切にしたいと思っている部分なのですが、人間同士の関わり合いを抜きにして幸せな生活などあり得ないと思います。私は、「分相応」という言葉自体が特に好きだというわけではありません。しかし、「分相応」の生活とか生業とはこのような精神的要素をわきまえてこそ意味があると思うのです。

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