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公認会計士 福地徳恭

理不尽な事件と冤罪そして限られた人生

今日は、何だか私が言うのも僭越で恥ずかしい壮大な?テーマで少し記してみたい。

ここ1~2年の間に、無差別殺人が土浦や秋葉原そして名古屋などで起き世間を震撼させた。その事件の裁判が本格的に始まっている。最も恐ろしいのは犯人が事件についてほとんど反省していないと思われるところだ。自分は死刑になるために誰でも良いから殺したかった。こんな動機で被害にあった方には、何んとも悔やみきれない思いだろう。オウム真理教のサリン事件などは、無差別殺人の最たるものであり、いまだにその被害に苦しんでいる方がたくさんいらっしゃるそうだ。

松本サリン事件の第一通報者で被害者である河野義行さんは、被害者であったにもかかわらず当初犯人扱いされとてつもない苦労をされた方だ。そして、昨年闘病生活を続けていた愛妻が帰らぬ人に。しかし、15年の歳月が流れるうちに、河野さんのこの事件に対する考え方がわれわれ常人にはとうてい想像できないように昇華したと。つまり、「人間、平凡な生活がなんと幸せなことか。しかし、そうでない環境に身を置くことで改めてそのことに気づかせてもらえた。妻の死に立ち会えたことは愛妻からの大きな贈り物だったし、生きている限りいろいろなことにチャレンジしていくことも悪くない。最期を迎える時の言葉は、「あー面白かった。」と言えると。」こんな内容の記事が、6月21日付の京都新聞に載っていた。こんな心境は、まさに地獄のような境遇に自身が置かれない限り、語れない言葉だろうと真に思う。

足利事件の冤罪被害者菅家さんも、17年間も理不尽な境遇に置かれながら、釈放されて宇都宮県警のトップから謝罪されたのち、「もう、許せる気持ちになった。」とおっしゃられたのが私には想像もつかないことだった。これも、不幸な境遇に永年身を置かれたのちに心が昇華された結果なのだろうか、と思う。いつまでも起こった不遇を恨むよりも、この先いかに生きていくか、にチャレンジした方がはるかに人生が豊かになるだろうという悟りだろうか。

「がんと宣告されたら最初に読む本」、というのがあるそうだ。この本は、がん患者を支えるNPO法人と思われる支援団体が、がん患者の気持ちをしっかり取り入れて言葉一つにしても配慮が込められているという。たとえば、末期患者に対する「残された時間」という部分を「限られた時間」に変えた。「残された」はがん患者に対する差別言葉のように聞こえるが、「限られた」は健常者も同じこと。そうだ、われわれ皆すべて限られた貴重な人生を送っている。それを平凡に生きていけるだけでどれだけ幸せなことかと思う。だったら、多少の苦難があってもいろいろなことにチャレンジしてみるのが人生をより昇華させることになるのではないか。我々日本人、健康でさえあればどんなにひどくても食えずに生きていけないことなんてない。

「余命一カ月の花嫁」という映画が上映されている。そのヒロインが残した言葉が素晴らしい。

「私にとって、明日が来ること自体が奇跡です。みなさんにとっては、明日を当たり前のように迎えられる。生きていけるだけでどれだけ幸せなことか。」

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