7月に入り、2009年も後半に入りました。本当に時間の経つのが速くて、参ってしまう昨今です。さて、昨日の日経朝刊一面のコラム「春秋」でタイトルのような記事がありました。「本社なんか無い方がいいんだよ。」
本来、本社や管理部門というのは、現場営業や製造部門をサポートするためにある存在が、いつの間にか現場に無用な口出しをして邪魔をする存在になる。そんな本社の管理部門は不要だ、とおっしゃったのが松下電器産業の社長だった山下俊彦さんという方だそうだ。それは、現場育ちで若くして社長に抜擢された方だからこそ、の言葉だろう。確かに、現場には現場のやり方があり、創意工夫して積み上げられたやり方があるというのに、ある日突然「今日からすべての指示統制は本社の方針に従ってやってもらう。例外は認められない。」なんてことを言われたら、現場で何十年も信念を持ってやってきた方々には「本社の人間に何がわかるか!ふざけるな。」なんて言葉が発せられても全く不思議ではありません。
私も仕事柄、このような理不尽な屋面に立たされている会社の方に接することがありますし、近年の内部統制監査などはまさに上記に大きくかかわってくる話です。私自身も、本来現場のやり方は現場の方に基本的に任せるべきであり、明らかな非効率性や不正誤謬を大局的観点から修正してあげるのが本社管理部の役目だと思います。それをこと細かくチェックリストにして文書で質問回答を求めたりすることが内部統制管理の目的ではないはずです。
しかし、実際の内部統制監査では様々なポイントが文書化されているようで、その事務作業量は相当だと思います。それでも何故こんなことが行われることになったのか。一言でいえば、役員や従業員を発信源とした不正や粉飾決算の事件が後を絶たずに起こり続けているからです。もっと言えば、ずばり、ほとんどの問題は社長すなわち経営陣トップが問題の発信源となっていると思います。つまり、社長が不正等をおこす誘惑に駆られなければ、粉飾決算等の問題は相当減っているはずだと私はみています。
実際には株主等からの短期的な利益追求が厳しく、そんなに単純ではないにしろ、公開会社の社長たるや自身の社会貢献を強く夢に持ち、信念を持って経営し、多少の経営不振でも株主に対し毅然とした説明を行い、中長期的視野での理解を求めることができれば、いまのような超事務的な内部統制監査制度なるものが出現しなかったのではないかと思っています。前のブログでも言いましたが、結局、監査というものが「性悪説」に立っているからこその、社長自ら「私が会社を経営しています。その決算書も私が作成しその責任は私にあります。・・・」なんていう、当たり前のことから確認し合わなければならないことになっている今の監査制度、内部統制、私には実は大変無味乾燥な化かし合いに見えて仕方がありません。