福地公認会計士事務所

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公認会計士 福地徳恭

帰夏に想う

暑い夏が再び戻ってきたようだ。ここ2週間くらい、突然猛暑から解放された関東地方だったが、35度に迫る暑い夏の陽気が戻ってきた。夏の高校野球も開幕した。そんな中、米国債がついに格下げされる事態に陥り、円高の傾向にますます拍車がかかっている。やはり、アメリカはもうダメなのだろうか。そして、我が国日本も円高になるほどの国力を持ち備えているのだろうか。

日本の高齢化の話は、すでにあまりにも有名で持ち出すまでもないが、14年後の2025年には65歳以上人口が3割を超え2035年には3人に1人になるという(総務省HPより)。この前新聞で見た記事では、2050年の人口ピラミッドで最も多い年代が77・8歳を示していた。これは視覚からして非常にショッキングだった。2065年には生産年齢人口(15歳~64歳)が5割を下回るという。私が生まれた1962年当時の65歳以上人口はわずか6%程度だったことからも、その異様さは明らかである(現状は23%程)。

そのような国が、経済的に競争力のある強い円を維持し続けられるはずがないと思うのは、皆さんも感覚的に一致していると思う。となれば、一時的に強烈に円高となってもいずれドルや他通貨と比較して円安に振れていくのは間違いないだろう。3.11の大地震を受けたことも含め、これからの日本人がどのように生きていけばよいのか、すべての日本人が全くの発想の転換を迫られている。

高度成長期からバブル経済を経て今に至るまで、私たちは良い大学へ行くための良い教育を求め、大企業orエリート官庁への就職を希望し、良い収入を得て都心のマンションさもなければそこそこの家に住み、幸せな家庭を築く。年に1回は海外旅行をしあるいは温泉旅行に行き、週に1回か月に数回外食を楽しむ。これが今までの通常の日本人の願望だった。それがバブル経済の崩壊とともに、その夢を早々に諦めなければならない人が増え始めた。長生きが増えたことで介護の問題も身近になってきた。アメリカに追従して行けば日本は幸せになれると思い込んできた意識も、そうでないと考える人々が増えてきた。物による幸せを追求するあまり、金がすべてと思う人ばかりが目についてきた今日、それが誤りであることをそろそろ悟らなければならない。

都会に暮らす人々は、確かに豊かで幸せな暮らしをしているかもしれない。しかし、本当に皆心の底から幸せだろうか?周りの人と比べて、私も同じようにきれいな家に住みたい、良い車に乗りたい、私だってあんな服を着てみたい、俺だってあんなものも欲しい、と言ってまるで当たり前の権利のように物を欲しがり他人と同等以上の暮らしを求めてはいないか?私にはどうも最近の日本人は、国民平等という日本憲法の原則が、物質的幸福の平等に履き替えられてしまっている気がしてならない。物質的平等など、ありえない話ではないか。

無理をして見栄の張り合いをするから、都会はギスギスして息苦しいのではないか。会話もできず、携帯電話やスマホ?にミュージックプレーヤーに没頭して周りを見ようともしない若者のなんと多いことか。若者だけでない、30代以上にも数多くいる。そしてとうとう、家族どころか結婚もしようともしないあるいはできない人たちが増えてしまっている。この国を背負うべき人が、どんどん減っていく。

とりとめのない話を書いたが、今年の夏は過去最高に憂鬱な夏、そんな想いを書いた。ちなみに勘違いしないでもらいたいが、私自身が憂鬱で元気がないわけではない。私は全く元気。だからこそ、元気で活気のある日本を取り戻したい、その想いが強いだけである。

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