福地公認会計士事務所

外資系企業向け英文会計・税務サポート
...
公認会計士 福地徳恭

結果を出し続ける者vsそれ以外の者

すでにご存じかと思うが、プロ野球の中日ドラゴンズ落合監督が今季限りで退団するという。落合監督は、就任以来常にAクラスを維持し日本一1回・リーグ優勝3回の素晴らしい実績を持っている監督だ。今年もチームは中盤までは苦しんでいたが、10月に入りついにヤクルトをとらえ首位に。昨日もヤクルトとの天王山に勝って、やっぱり中日は強いなあと思わせた。

実は私は、小さい頃に中日の大ファンで、特に与那嶺監督のもと星野仙一がエースで攻守の要に高木守道、そして谷沢・島谷・マーチン・大島と決して派手さはないが役者ぞろいの泥臭いチームカラーが大好きだった。その後10~15年くらいは中日ファンだったが、社会人になってしばらく経った頃からは特に中日ということでなくすべての野球ファンとなった。なんだか、節操無いな、と思われる方もいるかもしれないが、とにかくセパリーグ問わずすべての選手を純粋に見たいと思うようになったので、中日への肩入れはすっかりなくなっていった。

そして最近では、中日が固い野球をやってあまりにも強いので、ほかのチームへの励ましも込めて他チームを応援したりもしていた。おそらく、今後も当面落合監督のもと強い中日が続くだろうと思っていた矢先の退団発表。「いったい何なんだ、これは。」とにかく、退団を発表してからの中日は、まるでそれに反発するかのごとく勝ちまくっている。おそらく、1敗くらいしかしていないのではないか?

私は何だか、最近の日本のおかしな風潮とどうも重なってくるような気がしている。結果を出し続ける者があまり評価されない。あるいは、評価が妥当ではない。そして、結果を出さないあるいは出し続けるもの以外の者がいろいろと適当なことを言ってそれなりの評価を受けている。もっと言えば、結果を求めようとすることを恐れあえて言うべきことを避けて通ろうとする政治家や高級官僚の皆様方は、残念ながらそれ以外の者でありながらそれなりに世間から評価されているのではなかろうか。「いやあ、私は彼らなんか評価していませんよ!」なんて声が聞こえてきそうだが、そうではありません、立派な高給をもらっているんだからそれこそが国民皆さんからの評価ではありませんか?

私は最近急に、落合中日を猛烈に応援したくなった。彼こそ、黙って結果を出し続ける優秀な監督にふさわしい男ではないか。監督の仕事は、チームを強くして常に優勝争いに加わることができるようにすることではないか。球団は、そろそろ新風を吹き込みたいとかの意向のようだが、そうでなく、彼では人気が取れないとかコミュニケーション能力に欠けるとか、マイナス面を主張するのならば、それはそもそも悪いのは監督ではなくて球団ではないのか?チームが弱くなり優勝争いができなくて、どうして人気が上がるというのか。コミュニケーション能力の低い人間が、監督としてチームをまとめ上げることがどうしてできるというのだろうか。

仕事面で求められるのはプロ意識しかない。プロとは、求められる結果を出し続けてこそプロと認められる。それ以外の者は所詮、プロから脱落した敗者と言わざるを得ない。敗者が悪いというわけではない。そうではなくて、だからこそ結果を出し続けるプロは皆から評価されその地位に居続けられるのであり、それ以外の者はそれなりの評価しか受け取ることができないことは全く公正で平等だと思うのだ。

いま日本に求められている者は、結果を出し続けるあるいは求め続ける者であり、そして、それを公正・公平に認めることができるそれ以外の者が大勢となることではないか。

福地公認会計士事務所ブログ・最近の投稿