福地公認会計士事務所

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公認会計士 福地徳恭

不可解な事件の多い中で

最近というか、またも、というか、さまざまな不可解だったり凄惨だったりそして猟奇的な事件までもが多い世の中。いやな事件が多すぎて、それはどの殺人事件だったかわからなくなる。そんな中、私が取り上げたいのが少し前に起きた老年同士のいざこざによる殺人事件だ。

犯行に及んだのが80歳を過ぎた元警察官の男性で、相手は60歳過ぎの女性。報道によると、原因は近隣トラブルとのこと。向かい側の女性宅のちょっとした問題が発端で、男性のクレームに対し女性は真っ向から反発し男性を押し戻す。それに男性の怒りが増してお互い譲り合わない。そのうち、正義感?の強い男性が殺意をほのめかして女性を脅迫するようになる。警察への相談もあったようだが解決には至らず、ついに男性が女性を殺害しその後自殺した。何とも、悲しい事件である。なぜこのような事件は誰も止められなかったのか。実は、私にも過去近隣トラブルに巻き込まれたいやな経験がある。それは私には明らかに、先方からの一方的な犯罪行為だったのだが、ここで申し上げたいのはどちらが悪いとか悪くないの話ではない。なぜならば、私の場合も警察にも相談したのだが根本的解決とはならず、結論は私の方からこれ以上トラブルにならないように身を引いたのだった。つまり、相手方と二度とニアミスが起こらないようにしたのである。

今思えば、正義のためとか良い悪いをはっきりつけようとか相手を徹底的に懲らしめようとか、そんなことをしなくて良かったと思う。上記殺人事件は、男性の主張を女性が全く聞き入れず、むしろ男性のクレームを言いがかりだと切り返し、それがまた、男性の怒りを買うという負の連鎖がトラブルを大きくしていったのだと思う。つまり、近隣トラブルだの電車内での喧嘩だのといった類は、相手は相手の主張をしてくるだけであり言い負かそうとすればするほど最後は拳でけりをつけなければならなくなるのではないか。つまり、状況は冷静な話し合いをできる場ではないのである。相手が許せないケースであっても、どちらかが冷静になって身を引く、相手の話を聞く、という姿勢があれば、大きなトラブルにならなくて済んだのではないか。もちろん、それでも相手が悪くて暴力的にくるのであれば、これはもう、逃げるが勝ちであろう。

本来、普通に話し合いのできる人たち同士であれば、トラブルにはなりにくい。あるいは、そもそもトラブルの原因すら起きないのではないかと思う。それでもトラブルの原因が発生する場合には、普通ではない「何か」が存在するのではないか。だからこそ、そういうトラブル原因について相手方と話す場合には、自分の考え方が正しいという姿勢で向き合うととんでもない反発がやってくる。それに対し、論理的に徹底的に相手をやりこんでその場は抑えられたとしよう。それが二度と会わない人に対してならば良いが、隣近所の人や会社の同じ部内の人に対してだったらどうだろうか。また顔を合わせることになるし、やられた人は場合によってはものすごい嫌悪感を持って自分に接することになる。

人というのは皆ものすごいプライドを持っている、とよく言われる。そのプライドを傷つけられたとしたら、特に自尊心の強い人は傷つけた人に対しものすごい復讐心を持つかもしれない。粘着質の人間だったらそれが何倍もの復讐の鬼になるかもしれない。考えただけで、恐ろしいと思う。何かの本で見かけた記憶があるが、人は徹底的に相手をやっつけてしまうような怒り方・追い込み方はしない方が良いという。上記事件は、まさにその典型ではないだろうか。早いうちに、相手を許してあげるか自分が身を引くか、これがつまらないトラブルで悲惨な事件に向かわせない秘訣であると、私は思う。

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